Wednesday, April 24, 2024
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ダラスのステキな女性、国沢知代 (キリスト教系幼稚園、園長)

ダラスのステキな女性とは、ダラジャパが選んだ自分の好きなことや興味を追求してダラスで頑張る女性です。

一人目は、ホサナ幼稚園の園長先生を務める国沢知代さんです。

ホサナ幼稚園
1141 W College Pkwy, Flower Mound, TX 75028

 

1.幼稚園の先生になるまでの経緯を聞かせてください。

短大を卒業する時にクリスチャンになって3年目でしたが、一般の会社や企業に就職するのではなく、神様の近くにおれるところ(つまりは教会ですが)で働きたいと思いました。その時には教会の掃除でも良いと思っていましたが、卒業直前に私の通っていた教会付属の幼稚園の教師としての仕事が与えられました。
その後結婚して長男が生まれるまでの3年間、この幼稚園で勤めました。

2.幼稚部の先生としてダラス日本語補習校で働いた18年間について教えてください。

ダラス補習校では、幼稚部の教師として、1995年からホサナ幼稚園を始める2013年の3月までの計18年間勤めました。 最初の8年間は年長組を、後の10年間は年中組(当時は年少組と呼ばれていました。)を受け持ちました。

当時の校長から「年長を長く受け持たれたから、来年度は年少をお願いします」と言われた時には、正直4歳児をみれるだろうかと心配になりましたが、蓋を開けてみれば自分には4歳児のほうがあっているということに気づきました。
年長組は補習校も2年目で余裕もあり、また小学部に上がるためお勉強の面に趣きがおかれます。 しかし年少組はお母さんから離れるのが初めて、集団生活も初めてというお子さんもおり、お勉強云々という以前に「そのお子さんそのもの」を受け止めてあげるというところからクラスが始まります。
そのような「人格形成に携わる」ということが教育者としての自分には喜びであり、楽しみであるということに気づき、年少組を受け持つことが喜びとなりました。

3.その後、補習校で教員としての仕事を辞退し、ホサナ幼稚園を設立したのですよね? ホサナ幼稚園を設立しようと決意するまでの経緯を聞かせてください。

私の主人はキリスト教の教会(ICC)の牧師をしています。1999年に自宅の居間での集会から始まった教会ですが、その後アメリカ人の教会の一部屋を借りるなどして礼拝を守ってきました。教会員が多くなるにつれて一部屋には入りきれなくなり、午後礼拝堂を使わせてくれる教会を探し、最終的には2011年に今の教会堂を購入するまでに8箇所の教会を転々として礼拝を守ってきました。 フラワーマウンドに自分たちの教会堂を持つことができたのは、ちょうど東日本大震災があった2011年3月のことでした。
その時に礼拝堂の横にあるもう一つの建物が、ちょうど幼稚園をするのに良い作りになっており、この建物を見た牧師が「ここで幼稚園を始めたらいい」と申しましたが、まさか本当に自分が幼稚園を開く事になるとは、その時は思ってもみませんでした。

4.ホサナ幼稚園の教育方針をおしえてください。

アメリカに住んでいる子どもたちが日本語で保育を受けることを通して、日本語の楽しさ、文化、伝統などを学ぶというのは、海外にあるどの幼稚園でも同じかと思います。

それをふまえた上でホサナ幼稚園が一番大切にしていることは「子どもたちの心、魂を育てる」ということです。

キリスト教を保育の根幹としていますので、神さまを愛し、父母を敬い、友達を思いやる。そして自分自身をも大切にする神さまのみこころにそった生活が出来るように指導、導いています。

またお勉強、工作などを年齢別のクラスに分けてする1時間以外は、2歳半から5歳児までが一つの部屋で一緒に時間を過ごす複式教育の形をとっています。そのようななかで、大きい子どもたちは小さい子どもたちをいたわることを身に着け、小さい子どもたちは大きいお兄さん、お姉さんに憧れ、目標にして頑張ろうと励みます。
様々な個性を持った子どもたちと関わる中で、一人、一人を尊重する意識が育ち、
互いに相手を大切な存在として認め合うことができる子どもたちに育っていきます。

5.国沢先生ご自身は、4人のお子さんをアメリカで育てたそうですが、どんな教育目標を持って子育てをしましたか?

先程もお話しましたように私たち夫婦はクリスチャンですので、息子たちが聖書に書かれてある神さまを信じ、その神さまと共に歩む人になって欲しいという思いを持って育てました。
息子たちがイエスキリストを信じる信仰をもっていれば、どこに行っても、何があっても生きて行くことが出来るということを教えてきました。
現在二人が日本、あとの二人がアメリカに住み、それぞれクリスチャンの女性と結婚し良い家庭を築いています。末の息子は日本で会社勤めをしながら牧師をしており、他の三人もそれぞれの教会で良き信徒として神さまを中心とした生活を送っています。

6.お子さんは皆、日本語で育てたのですか? 日本語を子供に教えるのは難しいというお母さんは少なくありませんが、国沢先生はどのような方法でお子さんに日本語を教えたのですか? どんな努力をされたのか教えてください。

子どもが4人でしたので経済的に難しいのと、日曜日に教会に行くため補習校には送りませんでした。夏休みには日本語の教科書やドリルで勉強もさせましたが、一番日本語をキープするのに効果があったと思えるのは、日本から私の両親が送ってくれたコミックとテレビ番組のビデオだったと思います。
「ドラえもん」から始まって「コナン」まで一所懸命に兄弟で漫画を読んでいました。また当時はまだビデオの時代でしたが、漫画や歌番組などを熱心に見ていました。今日本で働いている二人の息子たちは、日本語に不自由なく仕事をしてあちらで生活をしています。

私は日本語を学んだり、話すことに関しては、その子どもの「日本に対する意識の強さ」が大きく影響すると思います。日本が好きで、日本に関するものが好きなお子さんは必然的に日本語を学んだり、話すというところから離れないと思います。反対にいくら親御さんが熱心に日本語教育に力を入れたとしても、本人にモチベーションがなければ長く続くのは難しいかと思います。

7.最後に、教育者として今後の抱負を聞かせてください。

これから益々ダラス近郊にも日本人家庭が増えるかと思います。
ホサナに通うお子さんたちにとって、ホサナ幼稚園が楽しい、嬉しい、大好きな場所となることを望みます。
そしてその子どもたちが将来成人して大人になって何か人生の壁にぶつかり困難に面した時、「ホサナで培われた何か」が彼らを励まし前に向かって歩ませるようになる、そのようなものを子どもたちの心に植え付けることが出来るような幼稚園としてこの地に存在したいと願っています。

 

ご協力ありがとうございました。

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わい子
7 years ago

わーい!知代先生の記事だー!
私も知代先生のことを大変素敵な方といつもお見受けして尊敬しておりますので、
うれしい記事です!
ご共有ありがとうございました。
これからも応援してます!

山下ひろみ
5 years ago

国沢知代さん、ご無沙汰しております。間違いがなければ、同一人物だと思います。鹿児島市清水中学校時代の同じクラスだった者です。たぶん記憶が正しければ高校からお父様の転勤で他府県へ引っ越されたと思います。クラスメイトから信頼され明るくユーモアもあり優秀、仇名が確か「ネズミ男さん(笑)」でただ者ではないと思っていました。ご活躍されていることを知り感激しております。私の事は覚えていらっしゃらないと思いますが元気だけ取り得の「山下」です。異国の空から牧師様としてのご活躍、幼児教育者、幼稚園の発展を心からお祈りしております。いつも幸せでありますように私の愛するネズミ男さん笑い

TOMOYO kUNISAWA
5 years ago

山下ひろみさん!!!
覚えてますよ!山下!顔だって、すぐ思い浮かびます。はい、「ネズミ男」があだ名でした。
よく見つけてくれましたね!今も鹿児島ですか?
ぜひ、また連絡くださいね。

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